皇室に対して、私は一国民として深い敬意を抱いています。どちらの宮家が上か下かなどと庶民が論評するものではなく、いずれも等しくありがたい存在です。
しかし、ここ最近の世論を見ていると、どうしても拭えない違和感があります。今上陛下御一家と秋篠宮御一家の世間の評判が、約20年前と完全に「逆転」しているように思えるのです。
20年前の記憶と、現在の「真逆」な空気感
私の記憶を振り返ると、約20年前の平成期、メディアは当時の皇太子同妃両殿下(現・今上陛下ご一家)に対して極めて厳しいバッシング報道を展開していました。一方で、秋篠宮家は親しみやすく公務に励まれる模範的なご家庭として称賛を集めていた印象があります。
ところが令和の御代となり、その空気は一変しました。今上陛下ご一家や愛子内親王殿下への敬愛がかつてないほど高まる一方、秋篠宮家に対しては厳しい風当たりが続いています。世間の論調は、当時の肌感覚とまさに真逆です。
本来、皇室は世論の好悪や比較で格付けする対象ではありません。双方がそれぞれの立場で国と国民のために尽くしてくださっているはずなのに、なぜここまで極端な二項対立が生まれてしまうのでしょうか。
ここからは個人的な想像と推測の域を出ませんが、いくつかの背景を考えてみました。
メディアの商業主義と、皇位継承をめぐる思惑
第一に考えられるのは、メディアの分かりやすい二項対立の演出です。「善と悪」「称賛と批判」というシンプルな物語を作ることで、週刊誌の部数やネット記事のPV(閲覧数)を稼ぐ商業主義が働いているのではないでしょうか。
さらに、皇位継承をめぐる政治的思惑も絡んでいるように見えます。女性・女系天皇を推進したい層が愛子さまを持ち上げる象徴とし、男系維持を訴える層が秋篠宮家を擁護する構図です。純粋な敬意の対象であるはずの皇族方が、イデオロギー闘争の道具に巻き込まれているように感じられてなりません。
YouTubeに溢れる批判動画と「国益の毀損」
特に危うさを感じるのが、YouTubeをはじめとする動画プラットフォームの現状です。秋篠宮家を過剰に叩く動画が日々投稿され、多くの再生数を集めています。
仮に日本国の名誉のために何か意見があるのだとしても、世界中から視聴できるオープンな動画サイトで、自国の象徴たる皇室の「恥」とされる話題をわざわざ拡散する必要があるのでしょうか。
義憤を装いながら、過激なサムネイルや扇情的なタイトルで小銭を稼ぐ行為は、皇室の尊厳を貶めるだけでなく、国際社会に向けて自国の品格を自ら傷つけているようにしか見えません。
背後に潜む「認知戦」の可能性
もうひとつ懸念しているのは、これが海外勢力による世論分断工作、いわゆる「認知戦」ではないかという視点です。
日本人のアイデンティティと結束の核である「皇室」の権威を失墜させれば、国民の誇りや連帯感を内側から削ぐことができます。天皇家対秋篠宮家という対立軸に油を注ぎ、ネット上で過激な言説を増幅させることで、社会の亀裂を深めようとする意図があっても不思議ではありません。
動画を投稿している当人たちは無自覚な日本人や単なる収益目的の配信者かもしれませんが、その感情やアルゴリズム自体が、見えない情報工作に利用されている可能性も否定できないのです。
おわりに
愛子内親王殿下の誠実な歩みに心を打たれるのも、秋篠宮家の日々の公務に頭が下がるのも、どちらも日本人として自然な敬意の形です。
メディアが作り出す対立のドラマや、ネット空間の過激な言葉に煽られることなく、ただ静かに、両家それぞれのお務めに感謝を捧げる姿勢を保ち続けたいと思います。