🔎 議論の発端:家族との雑談から始まった「台湾=琉球」の謎 最近、YouTubeで面白い動画を見つけました。「AIに歴史上の人物を歌わせる」というチャンネルで公開されていた**『宮沢賢治が歌うフォークな雨ニモマケズ』**です。軽い気持ちで再生してみたのですが、聴き始めてすぐに、これが吉田拓郎さんの全盛期を彷彿とさせるスタイルであることに気づきました。
特に昭和40年代後半から50年代前半、**『イメージの詩』や『人生を語らず』**の頃の、あの熱い雰囲気が漂っています。まずは一度、騙されたと思って聴いてみてください。
参照元:YouTube|【AI】宮沢賢治が歌うフォークな雨ニモマケズ
動画紹介
なぜここまで「拓郎」なのか?
聴いていただけましたでしょうか。この独特な歌い方。AIはおそらく「昭和フォーク」や「70年代日本のロック」といったデータを学習したのでしょうが、結果として出力されたものは、吉田拓郎さんのスタイルに近いものでした。
私がこの動画を「拓郎的」だと感じたポイントを3つ挙げます。
- 歌詞を詰め込む「トーキング・ブルース」 宮沢賢治の詩は定型詩ではないため、文字数がバラバラです。それを無理やりメロディにねじ込み、早口でまくし立てる歌い方は、ボブ・ディランの影響を受け、拓郎さんが日本に定着させた「字余りソング」の真骨頂と言えます。
- 荒々しいアコギとハーモニカ ジャカジャカと力強くかき鳴らすアコースティックギターのストロークに、時折入るプワーンというハーモニカの音色。この泥臭くも熱量の高いサウンドは、まさしく昭和のフォーク青年の魂そのものです。
- 後半の「絶叫」への展開 この曲の一番の聴きどころです。前半は淡々と語っていた歌声が、サビ(?)の「そういうものに私はなりたい」あたりから、感情が高まり、**シャウト(叫び)**に変わります。この熱量の急激な上げ方は、ライブ版の『人生を語らず』などを彷彿とさせます。
考察:賢治 × 拓郎 の化学反応
面白いのは、このフォーク調で歌われることで、『雨ニモマケズ』という詩の印象が変わることです。
教科書で読むこの詩は、「静かに笑っている」「褒められもせず苦にもされず」という、無欲で静かなイメージが先行します。
しかし、この「拓郎節」で歌われるとどうでしょう。
「俺は! そういうものに! なりたいんだよ!!」
という、内側から湧き出る強い決意表明や、自分自身への叱咤のように響いてきます。「静けさ」を求める内容を、「激しさ」で歌う。この対比が、宮沢賢治が内面に抱えていた熱情や葛藤を、かえって際立たせているように感じました。
まとめ
AIによる生成動画でありながら、期せずして「新しい宮沢賢治像」を見せつけられた一曲です。
昭和フォークを知る世代には懐かしさを、知らない世代にはその熱量が新鮮に感じられるかもしれません。このスタイルが気に入った方は、ぜひ「元ネタ」の一つである吉田拓郎さんの『イメージの詩』や『人生を語らず』も聴いてみてください。AIが学習した「熱さの源流」を感じられるはずです。