常々、「正義」という言葉にどこか懐疑的な想いを抱いてきた筆者。『ワンピース』などの影響もあったが、この『戦隊大失格』に出会ったことで、自分なりの結論にたどり着いた気がする。
一般的フォーマットでは「悪者」であるはずの「戦闘員D」が主人公だという設定に、まず驚きと強烈な共感を覚えたのが始まりだ。物語の巧みな仕立て方はもちろん、劇伴やOP・EDの音楽的完成度の高さも相まって、一気に作品への期待が高まった。
しかも、アニメ版の全話がYouTubeで無料配信されているのが本当にありがたい。サブスクを節約している筆者にとってはまさに神対応。ぜひ多くの方にこの衝撃を体験してほしい。
👉 ここで見れます:https://youtu.be/QZSBvEsCkJo?si=eBpsB6V5CexnQiXY
物語の基本設定:茶番から始まる革命
私が『戦隊大失格』を深く楽しめる理由は、その設定が徹底した「茶番」から始まっているからだ。
物語の舞台は、毎週日曜日に繰り広げられる、竜神戦隊と怪人たちの「決戦」。しかしこれは、人類の安全を守るための真剣な戦いではない。実際は、怪人側の戦闘員が一方的に負けることを義務付けられた、予定調和のショーなのだ。
主人公である戦闘員Dは、この「負け役」を演じ続けるという魂の抜けたルーティンに、心底嫌気がさしている。彼が求めたのは単なる勝利ではなく、「悪役」としての尊厳と、この茶番劇を根底から終わらせるという美学だった。
そしてDは、システムを外部から破壊するのではなく、その中心である竜神戦隊の組織内部へ潜入するという、極めて大胆な革命の道を選ぶ。これが、物語のすべてをひっくり返す出発点となる。
核心の分析:勧善懲悪と欺瞞の皮肉
「絶対的な正義はありえない」という痛烈な皮肉こそが、この物語の核心であり、私が強く魅力を感じた点だ。
戦隊組織のトップ・レッドキーパーが座る会議室には、「勧善懲悪」という掛け軸が掲げられている。しかし、その神聖な言葉の下で議論されているのは、まさしく「悪」の製造工程であるという事実。
特に衝撃的なのは、敵である怪人たちを生み出しているのが、実は戦隊側ではないかという示唆だ。倒すべき敵を自ら作り、それを撃破して称賛を浴びる究極の自作自演。これは組織の威厳と権力を維持するためのマッチポンプ以外の何物でもない。
この構造が意味するのは、戦隊の正義はあくまで「システムにとって都合の良い秩序」でしかないということ。戦闘員Dが立ち向かっているのは、ヒーローの力ではなく、この腐敗しきった「予定調和の欺瞞」そのものだと私は思う。
Dの「美学」と反骨精神
私がDに強く共感するのは、彼が戦隊だけでなく、自らの組織である怪人幹部の身勝手な欲望にも反旗を翻す点だ。
Dの行動原理は、「世界征服」といった大仰な目的よりも、末端の「悪役」として魂を売らないという美学にある。腐敗した戦隊側にも、無責任な怪人幹部側にも、どちらの駒にもならない「個人の尊厳」を守るための孤独な戦い。
どちらのシステムからも自由であろうとするその反骨精神こそが、彼の最大の魅力だと感じている。
普遍性への拡張:『Dの意思』との共鳴
このDの反骨精神は、他の大作アニメにも通じる普遍性を持っている。
たとえば、『ワンピース』で海軍が羽織る「正義」のマントは、世界政府の都合の良い秩序を守るための道具でしかない。Dが腐敗した戦隊というシステムをぶち壊そうとするように、ルフィたちが世界政府の歴史の闇に挑む姿は、「絶対的な権威が掲げる『正義』を疑え」というメッセージの普遍性を伝えているように感じる。Dの「美学」は、まさにルフィたちの「Dの意思」のような、魂に刻まれた抗いの精神なのかもしれない。
あなたの美学はどこに?
時代や立場によって、人の価値観や正義は変わる。このアニメは、その複雑な視点を多角的に描くことで、読者である私に「私の美学、私の正義はどこにあるのか?」と、落ち着いて考えるきっかけをくれた。
なお、今回の記事では物語の思想的な面白さに絞り込んだため、映像や演技の評価については、また別の機会にじっくり語りたいと思う。
ぜひ、YouTubeで『戦隊大失格』を見て、あなたがDのどの美学に共鳴したか教えてほしい。
あなたがDのどの美学に共鳴したか、ぜひコメントで教えてくれませんか?みんなで宝探しの地図を完成させられたら嬉しいです。