2018年に公開された映画『空海−KU-KAI−美しき王妃の謎』は、中国映画ならではの壮大なスケールと圧倒的な映像美で注目を集めました。しかし、元々積極的に観たわけではない私にとって、中国映画によくあるワイヤーアクションやファンタジー色の強い演出にはむしろ戸惑いを感じていたくらいです。
しかし、歴史好きの私にとって、この映画は新たな知的好奇心を刺激するきっかけとなりました。空海、そして阿倍仲麻呂といった実在の歴史人物が登場したことで、登場人物の時代背景を改めて確認するきっかけになった。
史実とフィクションが織りなす物語
映画のメインプロットである「空海と白居易(白楽天)が楊貴妃の死の謎を解き明かす」という部分は、歴史的事実ではありません。詩人である白居易は、楊貴妃の死から約50年後に生まれているため、二人が直接出会い、共に事件を解決することはあり得ません。また、楊貴妃の死の真相に関する描写も、歴史的解釈や原作とは異なる脚色が多く含まれています。
しかし、その一方で、空海が遣唐使として唐に渡り密教を学んだこと、楊貴妃が玄宗皇帝に寵愛され安史の乱の中で非業の死を遂げたこと、白居易が『長恨歌』で楊貴妃の悲劇を詠んだこと、そして阿倍仲麻呂が唐で高官となり李白らと交流したことなどは、紛れもない史実です。
映画は、これらの魅力的な歴史上の人物や出来事を巧みに再構築し、想像力豊かな物語を紡ぎ出しました。特に、阿倍仲麻呂のように故郷を思いながら異国の地で生涯を終えた日本人の存在は、遣唐使という壮大な事業の裏側にあった人間ドラマやロマンを感じさせます。
役者の努力と、日本の歴史への問いかけ
空海を演じた染谷将太さんや、阿倍仲麻呂を演じた阿部寛さんの演技も印象的でした。お二人とも元々中国語が得意だったわけではないものの、役作りのために徹底的な中国語の特訓を積んだと聞き、そのプロフェッショナルな姿勢に感銘を受けました。彼らの熱演が、歴史上の人物にリアリティを与えていたことは間違いありません。
映画を観て歴史を深く掘り下げたことは、私にとって非常に豊かな体験となりました。これは、単に映画を楽しんだというだけでなく、日本の歴史に対する新たな視点をもたらしてくれたのです。
「単一民族国家」を超えた日本の多様性
この映画をきっかけに、私は改めて「日本は本当に単一民族国家なのか?」という疑問を深く考えるようになりました。かつては当然のように単一民族国家だと考えていましたが、歴史を紐解けば、その認識は大きく覆されます。(そういう話ではないんだけどね)
- 縄文人、弥生人、そして大陸や朝鮮半島からの渡来人が混じり合い、今日の日本人の基盤が築かれました。
- 沖縄の琉球民族や北海道のアイヌ民族のように、日本列島には独自の文化と歴史を持つ人々が暮らしてきました。
- 古代の馬門石(阿蘇ピンク石)が、遠く離れた大和の地に運ばれ、大王の石棺に使われた事実は、当時のヤマト王権が広範な地域に影響力を持ち、多様な文化や人々が交流していた証拠です。
- 律令国家が「火の国」を肥前と肥後に分割した背景には、有明海を挟んだ地理的特性、それぞれの地域の異なる資源や文化圏、そして統治の効率化といった、多角的な理由がありました。
- 東北地方への国家の拡大は、白河の関という明確な境界線を持ちながらも、秋田や岩手、宮城といった地域が、蝦夷(えみし)との攻防と城柵の建設を通じて、時間をかけて段階的に「日本」という国家の版図に組み込まれていきました。熊本にも南関と呼ばれる場所があって、ヤマト王権?の南限だったみたいだし。
これらの事実は、日本が単一のルーツから成るのではなく、様々な背景を持つ人々や文化が混ざり合い、交流することで形成されてきたことを示しています。映画がきっかけとなり、単なるフィクションの物語を超えて、日本の奥深い歴史とその多様性について深く考える機会を得られたことは、私にとって非常に有意義な経験でした。