参院予算委で露呈した議論不在のパフォーマンス?奥田ふみよ議員の質疑に感じた強烈な違和感を考察

🤔 国会は「言論の府」であるはず:奥田議員の質疑に感じた強烈な違和感

先日、筆者は参議院の予算委員会の中継を見ていて、どうしても看過できないシーンに遭遇しました。れいわ新選組の奥田ふみよ議員が行った質疑です。

国会の委員会とは、本来、国の重要事項について政府の見解をただし、建設的な議論を通じて、より良い政策を練り上げるための「言論の府」であるべきです。しかし、奥田議員の質疑からは、そうした建設的な意図が感じられず、むしろ議論の場としては「非礼」とさえ感じる態度が目立ちました。

この記事では、筆者が質疑全体から感じた具体的な違和感のポイントを整理し、国会における「質疑」のあり方について考えます。

🎤 質疑ではなく「独演会」と化した時間

奥田議員の質疑時間を通じて、筆者がまず強く感じたのは、ご自身の演説や主張が最優先されているという点です。

「質疑」という、政府と対話を通じて政策を深めるための時間を使いながら、その実態は一方的な主張の垂れ流しに近いものでした。筆者の確認する限り、総理や大臣等の答弁は極めて少なく、ほとんどの時間をご自身の発言が占めていました。

質疑の時間は、総理や大臣といった政府の要人を拘束して行われる公的な時間です。対話を拒否し、演説だけを行うのであれば、目の前に座る答弁者は必要ありません。これは、国会の貴重な時間を、自身の主張展開のために「私物化」していると言われても仕方がない行為ではないでしょうか。

⏳ 議論の拒否とも取れる「10秒でYes/No」の暴力性

さらに、答弁者に対する態度の面でも、強い違和感を覚えました。

奥田議員は、答弁者に対して「10秒以内で Yes か No で答えろ」と強く迫るスタイルをとりました。これは、一見、鋭く追求しているようにも見えます。しかし、実際は、相手に質問の背景や政策の複雑性を説明する機会を一切与えず、自分の望む単純な二元論の答えだけを切り取ろうとするパフォーマンスに他なりません。

複雑に絡み合う国政の課題を、たった10秒で、しかも「Yes」か「No」だけで語り尽くせるはずがありません。それを強要することは、実質的に議論の拒否であり、政府側、ひいては国民の代表としての答弁者への敬意を著しく欠いた行為だと筆者は感じました。

📺 カメラの向こう側を意識したパフォーマンス政治

質疑の冒頭で毎回繰り返される決まりきった自己紹介や、議論の本質とはかけ離れた極端なパフォーマンスを見ていると、奥田議員の意識は国会の「中」で政策を議論することよりも、常にテレビカメラの向こう側、あるいはSNSでの「切り抜き動画」に向けられているように思えてなりません。

「目立てば勝ち」「バズれば正義」というインターネットの世界のロジックやノリを、国の予算と政策という最も神聖な議題を扱う予算委員会に持ち込まれることには、強い違和感しかありません。国会は、「建設的な政策論争」を行う場であって、「視聴率や再生数を稼ぐための舞台」ではありません。

💡 結び:ぜひ「一次情報」で判断を

ここまで、筆者個人の意見として奥田議員の質疑スタイルについて厳しく論じてきました。しかし、筆者が最も望まないのは、この記事自体が特定の政党を極端に貶めるための「切り取り」の素材として消費されることです。

昨今、YouTubeやSNSでは、意図的に編集された短い動画が氾濫しています。しかし、筆者が感じたこの強烈な違和感は、そうした特定のフレーズの切り抜きではなく、質疑全体の流れや、その場の「空気感」の中にこそありました。

ぜひ、皆さんも編集されていない国会中継のアーカイブ(一次情報)を、ご自身の目と耳で直接見てみてください。その上で、この質疑のスタイルが、国民の負託を受けた国会の場にふさわしいかどうか、各自で判断していただきたいと心から願っています。

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