ホリエモンに漂う「老害感」について

かつてホリエモンこと堀江貴文氏は、時代の先を走る挑戦者として強烈な存在感を放っていた。旧来の価値観を壊し、新しい働き方や産業の在り方を提示する姿は、既存の権威にとらわれない独立心の象徴でもあった。だが、近年の発言を追っていると、その輝きが次第に薄れ、むしろ「老害感」が漂っているように見える。

その理由のひとつは、政府に寄り添ったような発言の増加だ。かつては権力を鋭く批判する側に立っていた人物が、今や「飼いならされている」と感じさせるコメントをするようになっている。さらに周囲にはイエスマン的な取り巻きが目立ち、彼に賛同するだけの空気の中で“偉そうに語る”姿が露骨に見えてしまう。かつての反骨精神はどこへ行ったのか、と首をかしげる人も少なくないだろう。

転換点は、ひろゆき氏との距離が開いた頃ではないだろうか。論客として時に鋭くぶつかり合う存在を失ったことで、彼の発言は挑発的でありながらも内向きになり、心地よい賛同の中で老害的な印象を強めてしまった。挑戦者というより、過去の栄光を背景に語る人へと変わりつつある。

もちろん、発信力や影響力は今なお健在だ。しかし「反骨のホリエモン」を知る世代にとっては、今の彼が見せる姿勢に違和感を覚えるのも自然だろう。再び時代を切り拓く破壊者としての姿を取り戻せるのか。それとも、このまま“老害的存在”として定着していくのか。彼のこれからに注目したい。

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